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純国産写真フィルム発祥の地
世の中が「小豆沢セブンタウン」へ流れていく時、そこからちょっと外れて
隣接する「小豆沢パークファミリア」というマンションの敷地内へお邪魔します。


ここには、しっかり探さないと見落としてしまうような小さな石の記念碑があります。

『昭和三年三月 純国産写真フィルム発祥の地』 

『昭和五十五年八月建立 富士写真フィルム株式会社/ダイセル化学工業株式会社』


つまりこのマンションが立っていたところで「国産の写真フィルムが初めて作られた」ということです。
環八通り沿いは一大工場群でしたが、昭和40年ぐらいまでにそのほとんどが撤退し、跡地にどんどん団地等が建てられ今に至ります。赤羽北2丁目団地のところは日本製紙の工場跡地です。
で、このマンションの所には「大日本セルロイド株式会社(現・ダイセル化学工業)」の東京工場がありました。
現在の写真フィルムは、ポリエステル樹脂などでつくられていますが、
以前は硝化綿と樟脳を溶剤に溶かして、流延・乾燥してつくられており、材質的にはセルロイドと同じものでした。そこで「大日本セルロイド」は昭和3年にこの東京工場の敷地内に「写真フィルム試験工場」をつくり、研究を開始したのです。
そして、昭和6年、神奈川県足柄郡南足柄村にフィルム工場を建設し、主要機械を欧米から輸入して、写真フィルム製造に乗り出しました。
この足柄工場は昭和9年に別会社として独立し、現在の富士写真フィルム株式会社となっています。
※詳細はこちらで→http://www.fujifilm.co.jp/history/dai1-02.html


と、ここまでは「ふーん」で終わってしまったんですが(^^ゞ<フィルムとか詳しくない
実はこの工場にはある有名人がつとめてたことがあったと聞いてびっくり。
「男はつらいよの寅さんが働いてたんだよ」
・・・まて。葛飾柴又の寅さんがこんな工場で働くわけがないじゃないかと反論しましたらば
「寅さんの渥美清が!」だそうです。

あ、ご本人が!? 渥美清って志村の出身だったのか〜!!
資料から拾えた情報をつなぎあわせますと
昭和3年、東京都台東区上野に生まれ。
幼少の頃に板橋に転居し、志村第一尋常小学校から 旧制巣鴨中学に入学。
昭和20年に中学 を卒業後、知人の誘いで軽演劇一座の裏方となり、埼玉の大宮日活館で上映された舞台「阿部定 一代記」で通行人役として俳優デビュー。
(昭和27年、小豆沢の「セルロイド生地工場」の門をたたくも、仕事にはあまり熱心でなく、時間が来るとさっさと仕事を切り上げ、赤羽駅前の寄席へ飛んでゆき、幕引などをやっていました。そのため工場での評判は今一つでしたが、仕事の合間には工場長や課長の物まねをして、皆を笑わせていました)
その後、東京赤羽のストリップ劇場「公楽」、浅草の 「百万ドル劇場」、「川崎セントラル」などの劇場を転々とする。
昭和28年に浅草の名門 ストリップ劇場「フランス座」に入る。コメディアン仲間の関敬六、谷幹一らと享楽的な生活を 続ける。

へえええええ! 思わぬところに思わぬつながりがあるものです。
それから赤羽に寄席とストリップ劇場があったのにもびっくり!(@_@)


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